難波さんの文章にはいつもそのインプットの量と横幅の広さに驚かされる。年間読書人の書評ではそれが衒学的だと批判されているけど、むしろこのくらいが本来の学術的な態度だと思う(もっと必要のないところで必要のない引用をしている人はいくらでもいる)
難波優輝 『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』 : 著者は意外に〈いいやつ〉、そこが肝心。|年間読書人
これもかなり批判的な書評。
本書は「物語化批判」を冠しているものの、実際には全てを批判し、全てを擁護している、という事になるだろう。
この点は的を得た指摘であり、難波さんの文章ってだいたいそうだよなと思う。それが難波さんの文章の好きなとこでもあり、嫌いなところでもある。
難波さんの文章はいつでも正論だし、正論すぎてその態度を実践するにはそれなりのストイックさが求められるから鼻をつままれるところはあるのだろう。私が時々苦手に思うのは私自身がどちらかと言えば正論パンチャーであり同族嫌悪に近いものだから。
と、途中まで読んだ感想がそういう感じだったのだが、最後の章のおもちゃ的態度については少しフックを感じた。おもちゃ的な態度としての倫理観とは、責任感を持たないという責任を持つこと、という話。
これは少し共感できる話で、中途半端さの徹底はできないということをよく考えている。何かを極めてしまうよりも中途半端でい続けることのほうが余程難しい、そして人はなるべくそのように生きるべきであるという根拠なき確信を私は持っているのだけど、そこに対する別解のように最後の章は読むことができた。