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「猿と女とサイボーグ 自然の再発明」(2017新装版) Donna J. Haraway 高橋さきの

再生産=Reproductionがフェミニズムのコンテキストと複製技術のコンテキストで合流している

二○世紀後半のエッチングされた表面=マイクロチップ、IC技術のこと。

歴史の再生産と人間の再生産がハラウェイでは(というか、第三波フェミニズムでは)常に問題化されてきているわけで

  • 1970~90年台の生物学での変化
    • 人間と動物の境界
      • “獣であることは、結婚による交換というサイクルの中で、新たな位置を占めている。”
    • 動物と機械の境界

シリコンチップは書くために用意された表面であり、分子レベルで分子の音階でエッチングされ、核の楽譜にとっての究極の干渉たる原子のノイズによってのみ乱調をきたす。書くこと、権力、そしてテクノロジーは、古くから、手をたずさえて、文明の起源をめぐる西欧の物語りを支えてきた。(p294)

書き込むこと(inscription)、それを目に見えないサイズで行うこと、不可視化すること

こう考えると、結構キットラーと言ってること近いよなあ

書くことは、まさしくサイボーグの技術であり、二○世紀後半のエッチングされた表面である。サイボーグのポリティクスは、ことばばを求める闘いであり、完璧なコミュニケーションに対する闘い––すベての意味を完璧に翻訳する一つの暗号という男根中心主義のセントラル・ドグマに挑む闘い––である。であればこそ、サイボーグのポリティクスはノイズに固執し、汚染を擁護して、動物や機械との非摘出の融合に歓喜する。こうしたことは、大文字の男性と女性に混乱を持ちこむような接合のしかたであり、欲望––ことばばやジェンダーを生成する存在として想定されている力––の構造を覆し、ひいては自然と文化、鏡と目、奴隷と主人、からだと心といった「西欧」アイデンティティの再生産構造やモードを覆す。(p377)


状況に置かれた知(Situated Knowledge)

分裂し、矛盾をはらんだ自己こそが、位置設定に疑いをいだくことができ、記述を行いうるような存在であり、合理的な対話や空想上のイメージ形成作業を構築し、そうした作業に参加しうるような存在であるーーそして、世界は、こうした作業を通じて変革される。