(2020年くらいのWorkflowyよりコピー)
- オーグメンテッド・ヒューマン/サイボーグ
- 計数的な自然と、ダナ・ハラウェイの批判を並べる
- 言語=モデルの制約の話が出てくる
- 池上さんのマッシブ・データフローとかと近い
- 言語遊びをやめろ!/人間中心主義からの脱却とも見える
- でもやっぱそれは短絡的な思考放棄でしか無いんだな〜と思う
- その意味では私は人間中心主義だな〜
- なんで「魔法の世紀」では人工知能の話しなかった??あ??というオラつきが
- “遠からず実現するであろう、〈自然〉を〈デジタル〉によって調停し、然びたデジタル計算機とそれに適応した人類によって人為と自然の融和を促すテクノロジー。その力を借りることによって僕たちは、より鮮明な世界への確信へと至るだろう。”
- 自然と機械の区別が付かなくなるっていうのは、二元論に立っているからこそできる議論に読めるよなあ
- 間主観性の視点が無いように読める
- ヘーゲルっぽい
- end to endはいいとして、最適化のendの軸/次元を設定するのは誰か?という問題
- メディアアーティストとしてのエジソン
- フォノグラフの概念自体は社会的に構築されたものだよねえという
- “現代の我々が自明のものとしている〈近代〉が、19世紀後半から20世紀初頭にかけて生まれた多様な社会、メディア、コミュニケーションの可能性の、一つの帰結に過ぎないことを明らかにしているからだ。”
- なるほどメディア考古学っぽいし、スペキュラティブ・デザインっぽくもある
- フォーディズムとの対立
- プラットフォームキャピタリズムの話
- “トヨタやソニー、Appleといった企業の製品に継承されているのた”
- え・・・?
- フォーディズムとトヨティズムは真っ先に対立して語られるよね
- そしてAppleのプラットフォーム・キャピタリズム
- Beyond・フォーディズム
- 生産の個別化
- パーソナル・ファブリケーション
- でも、主体的に市民が、というよりはでかい企業が個別最適製品を提供する、的なイメージかな
- パーソナル・ファブリケーション
- 「多様性を損なわない最適化」
- 本当にできるのか?
- 画一化からは脱却できても、優先順位が付けられるだけじゃ無いのかなあ
- Personalizedというよりは、Parameterizedというべきだろう
- 生産の個別化
- ベーシックインカム型orベンチャーキャピタル型
- リスクを取るほどにモチベーションが上がる
- 誰もが独自の視点を持つような社会なんて可能なのか?
- 人間は愚かではいけないという価値観がありそう
- どうにも、今後はともかくこれからしばらくは「頑張らないとAIに仕事取られちゃうよ」的な言説や自己責任論と大差ないように聞こえる
- ウィーナー
- ていうかウィーナーに対する批判なんていくらでもあったのにね
- “「人間を機械化する議論」と「自然と文明を計算機で接続する議論」は、ちょうど対偶の関係にある”
- ウィーナーの人間機械論はフォーディズムに対するアンチテーゼでもあるはず
- プロトコルによる支配-ドゥルーズの戦争機械やギャロウェイの批判
- AIによる魔術化()
- バーマン デカルトからベイトソンへ
- ワイザーのユビキタス
- そしてAmbientへ
- ユビキタスの次に、Computational Fieldの世界
- EndtoEndの物理的な相互インタラクションを、物性的機能*98として、いわば通信と制御の理論でウィーナーが考えた世界を、波動と物質と知能の三つ巴の関係でEndtoEndに解釈していくのが、僕の考えている「自然」である。
- Unusual Computing
- つまり、インフラ的な変化を予見しつつ、あくまで自分はそれを可能にするようなインターフェース研究の実装に徹する
- では、「Interface」=境界面とはなんなのか、、、
- 人工知能と人工馬鹿、 集合知と衆愚
- “「現象to現象*108」の多大な可能性が、言語化した瞬間に人間に理解可能な空間に縮退されてしまうのだ。この問題は古くから指摘されてきた。”
- 引用しろよ
- ヴィトゲンシュタインのことだろうか?
- “ウィトゲンシュタインが問題視しているのは,あくまでもこういった価値の問題 について語ることなのである。とは言え,価値の問題について一切語らないというのは,あまりに消極的・ 禁欲的な態度ではある。しかしウィトゲンシュタインは,次のようにも言っている。
- だがもちろん,言い表しえぬもの(das Unaussprechliche)は,存在する。 それは,示される (sich zeigen)。それは,神秘(das Mystische)である。 (TLP, 6.522)
- すなわち,語りえないものについて語ることはできなくても示すことはで きる,と言うのである。しかし,ここで言われている「示す」とは,一体どういうことなのか。「示す」と「語る」とは,どう違うのか”
- イルカ
- “実は、この問題を別の方法で解決している生物がいる。イルカやクジラなどの海洋哺乳類だ。彼らは2000万年もの間、海中でコミュニケーションをしてきた。〜(中略)〜そして、彼らの伝送系で発達したのは「言語」ではなく「プロトコル」による直接転送だといわれている(イルカと話す日、リリー)”
- これはだいぶリリーが偏っていそうな、、
世界の再魔術化
- バーマンが指摘するのはプロセスの複雑化が知覚を超越するからということなのではなかろうか
- 都合よくブラックボックス化って言うな
- “その卓越した科学的思考力にもかかわらず、ベイトソンは、知の大半はアナログ的であること、現実は部分にではなく全体の中に存在すること、分析的解剖ではなく没入(一体化〈ルビ:ミメーシス〉)こそが叡智の始まりであることを直感的に悟っていたのである。“(デカルトからベイトソンへ 271p)
- “したがって、サイバネティクス理論によれば、我々が何かを知ることができるのは、そのコンテクストのなか、すなわちその何かと他のものとの関係のなかにおいてのみである。“(289p)
- あと単純にエントロピーの増加=混ざったミルクコーヒーをミルクとコーヒーに分解することができない
- ベイトソンの学習1、学習2(ゲームの理解)、学習3(ゲームが実は恣意的なものであることを知る)
- プラットフォームによる平衡が崩れた情報保持=もとに直せる魔術というものとは分けて考えるべきなのではないか
- バーマンが指摘するのはプロセスの複雑化が知覚を超越するからということなのではなかろうか
- オープンソース
- マルクスとウェーバー
- マルクス:下部構造が上部を作る
- ウェーバー:上部の文化が経済を作る
- “かつて「プロテスタンティズムの精神」という上部構造の作用による資本主義の誕生をウェーバーは記述しようとしたが、デジタルネイチャー化する世界において、このプロテスタンティズムに対応する共通プロトコルとしてのイデオロギーに与するものはオープンソースの精神である。”
- プラットフォームができると、共有財であるソースコードが投下され
- ・・・されてるか?
- オープンソースはそもそも評価経済的なものとしてだけ行われているわけではない
- 「その方が企業の利益になるから」やってるやつもある
- オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話 https://note.com/ruiu/n/n5ef32cf70074
- 逆に、SuperColliderのようなボランタリーなプロジェクトをどう捉えるか
- あるいはLLVMのような大学発のOSSはいくらでもあるが、そういうのが経済の中で使われまくることへの位置付けは
- “新しく現れた知見や技術は、〈受益者負担〉のオープンソースに取り込まれ、社会の共有財産であるインフラや「下駄」の一部となり、市場価値はリセットされる。”
- “オープン化したソフトウェアがもたらした、万人に開かれた知識と技術の「下駄」。それに追従する人間が多いと、インターネットは全体主義的(機械知能と人間知能の相互干渉による全体最適化的探索システム)になっていく。”
- “ただし、ここでいう全体主義というのは、20世紀前半の全体主義とは明確に区別されるべきものです。前世紀の全体主義が「民主主義に由来する全体主義」とすれば、これは「全体最適化による全体主義」といえるでしょう。”
- 落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第5回 機械の時間と最適化された世界(前編)【毎月第1木曜配信】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会
- “逆に、オープンソースの思想がそこまで力を持たなかった場合、インターネットは従来の資本主義性を強める。”
- ”この二つの社会は、両者の均衡を保つだろう。”
- いやー、実際はオープンソースが進んでも、近代的全体主義の支配の論理が台頭しちゃうでしょう。悪魔合体する可能性の方が高い
- ”ここで、プラットフォームとオープンソースを、対立構造ではない観点から見てみよう。オープンソースによって社会が少しずつ変化すると、それによってプラットフォームの構造も変わってくる。例えば、Googleの情報検索のアルゴリズムやFacebookのソーシャルグラフのソースコードは、現在オープンソースとしては公開されていないが、その代わりにAPIが提供されることによって、外部のプラットフォームから自由にその機能を利用できるものも多い。要するに、自由に価値を提供したり、逆に価値を享受できるような枠組みが共有されるようになってきたということだ。こういった枠組みも「シェアリングエコノミー」や「ソーシャルグッド*135」といった風潮を支えている。”
- APIとしての提供は結局のところ送り手と受けてという二分を行うからなあ
- “いずれあらゆる価値は、分散型の信頼システムとトークンエコノミーの価値交換手法によって技術に対しての投機マネーと接続され、オープンソースと資本主義市場の対立は、より密な経済的連携によって安定した構造へと軟着陸するだろう。”
- なんでこういうとこだけ楽観的なんだろうなあ
- “人類は生まれながらに平等であり、不平等は是正されなければならず、「男女に」平等な権利が与えられるべきである。これらの倫理は、確かに聞こえはいいが、AIによる最適化が可能になった世界では、必ずしも最適解ではない。一人一人の人間を均等に分割するような平等観は、全体最適化がリソース的に不可能であった時代の「最良の努力」であったというだけだ。”
- オルタナティヴはプラットフォーム圏域を突破する
- 前著『魔法の世紀』では、アメリカの社会批評家モリス・バーマンの「高度化したテクノロジーが世界を再魔術化する」という指摘を紹介したが、ここでいう「魔術化」は「プラットフォーム化」(市場を寡占した共通システムの内部に無頓着のままその共通言語と化したシステムを利用可能であること。メカニズムについて理解した個人がそのシステムを変更できる自由を保持していないにもかかわらず、環境としてその仕組みを受け入れている状態。プラットフォームの条件の一つが魔術化ということもできるはずだ)と言い換えることもできる。
- Computational Diversity
- 今後、標準的な人間観に準拠した価値は全体から見れば後退する。視力が低いのならセンサーやディスプレイを埋め込めばいいし、腕の欠損には高機能義手を付ければいいのだ。テクノロジーが人間の欠損を補完しうる社会では、人間のあらゆる差異はパラメーターの問題に帰着するはずだ。
- ”完璧”な人間を「補完」するテクノロジーというエイブリズムぽくはある
- ウゾウムゾウのためのインフラ論 - 逆卷しとねで批判されている
- なんで健常者に体を合わせてやらんといけないのだ
- それは結局多数決の論理であり、近代民主主義の論理だよな
- “しかし、今後の社会で求められるのは「わらしべ長者」的な働き方だ。何の変哲もない藁に虻をくくり付けることで新たな価値を生み出し、その藁をいかに別の価値と交換するかという発想が求められている。”