まず、グリッチを使った作品についてChatGPTについて聞いた時に私の名前が現れたことは正直興味深い。

ただ、私の名前やRosa Menkmanのような名前で現れたのは、どちらもインターネット上にグリッチというワードを含む文章をいくつか残しており、OpenAIがそれをクローリングしたからだと考えるのが自然だろう。 そこで、少なくとも私やMenkmanにとってはいくつかのリスクと不利益が考えられる。

まず、あなたのWebサイトの作品解説では作品はフェイクでも作家名は実在のものを含むという説明書きが成されているが、展示のWebサイト自体にはこの説明文にフェイクを含むことが書かれていない。 https://glitchonomicon.martapcampos.com/ に最初にアクセスした人がこの作品がフェイクだと気がづかない可能性はある。 この情報を基に私に間違った認識での依頼や連絡がくる可能性を考えれば、アーティストとしてはシンプルに仕事に支障をきたす可能性は拭えない。(特に、Menkmanはグリッチを扱う代表的なアーティストと呼んで差し支えないと思うが、私にとってグリッチは活動の根幹とは言えない。) もし展示のWebサイト上で種明かしをしたくないならば、最低でも検索のクローラーにインデックスされないような設定にはしてほしい。 また、この件に関しては私が私自身のWebサイトで補足、あるいは注意喚起のような形で情報掲載することご了承いただきたい。

付け加えると、このWebサイト上の情報をさらにAIモデルの学習に使われることで、さらにグリッチアートや私についての記述の正確性が落ちる可能性もあるだろう(それ自体は、この展示の一つの目指すところかもしれないし、私も強く反対するところではない)。

もう一つ、Tomoya Matsuuraというアーティストは私の他にもう一人いる。彼は松浦友也で私は松浦知也なのだが、彼は最近Kikoh Matsuuraという別のアーティストネームで活動している。 https://ensl.jp/kikohmatsuura/ Web上にはTOMOYA MATSUURAのクレジットでの彼の昔の作品の情報もいくつか残っているだろうし、彼は電子顕微鏡写真を使うビジュアルアーティストなので、フェイクの作品情報による不利益は彼の方が多く被るかもしれない。もし連絡していないのなら、彼にもメールを送るべきだ。

以上が、芸術に関わる労働者としての私の意見だ。これは私が活動をする上での実務的な問題についてのみ検討したものであって、道徳的な判断は含んでいない。

ここからは作家やオーディエンスとしての感想であり、特にあなたに対して何かの要求をするものではない。

もし私がオーディエンスとしてこの作品を見たとしたら、AIによって出力された私ではない誰か実在するアーティストの実際には存在しない作品を見たとしたら、実際のアーティストの作品との差分を知りたいと思うだろう。 また日本でグリッチを使った表現を多く発表しているUCNVやNukemeのような作家ではなく私の名前が出てきてしまうことの背景なども考察に値するテーマだろう。 だがこの展示では、そういった現実のグリッチ表現を行なっている人たちと、世間一般で想起されるグリッチの曖昧なイメージの差分に目を向わせることはなく、単にグリッチの曖昧な表象を再生産したに過ぎない。 私なら倫理や道徳の問題がどうか以前に、ただ退屈で展示の前から去ることを選ぶだろう。

私が一番疑問に思うのは、プロンプトによって現れた作家名が実在するかどうかは作品を発表する時点で知ることができたのに、なぜ今になってあなたがこのようなメールを送ってきているのかということです。 私はあなた自身の表現について口出しする権利は何も持っていない。 ただ、5月にPortoのProcessing Community Dayでこの作品についての発表をするようですが、その辺りの背景が捕捉されるならばオーディエンスとしての私はもう少し興味を持つことができると思う。