Jonathan Sterne, 2021, Duke University Press
インタビュー記事
https://campanthropology.org/2023/02/06/jonathan-sterne-on-his-book-diminished-faculties/
健常者が障害学をやることはできるのかについて面白い言及
レビュー
インペアメントの経験と信頼できない語り手 - 伊藤亜紗 レビューではないけど本書1章での議論が話題の中心
ここではタイトルが『衰えた能力――インペアメントについての政治的現象学』という訳になっている
読書メモ
1章
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甲状腺癌による摘出を2010年に経験してから、声帯が麻痺した
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無自覚であることに気づくこと-それは「いつ」発生している?
- (歴史に書かれないことを読み取るのがいつでも大変)
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現象学からスタート
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現象学には3種類ある
- フッサールをもとにして、ハイデガーとかメルロ=ポンティが議論してるやつ
- フェミニズムやクィア研究、障害学などを起点に当人にしか認識できない意識を語る方法として
- 本書ではこれをやっていて、political phenomenologyと呼ぶ。オリジナルじゃJody Berlandより
- ただexperienceをかっこよく言いたいだけのやつ
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political phenomenologyはオートエスノグラフィとか、結果的に似たようなことをやっているものはいくつか考えられる
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「ないこと」をどうやって話すか?という点でimpairment phenomenologyは特殊
- これ、ACE本で言ってるのと近しいぞ!
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- 日本語では「機能障害」と「能力障害」
- スターン曰く、impairment≡disabilityの身体的表出
- sexとgender、skinとraceの関係と似たもの
- impairmentをdisabilityの表出ではなく原因/基底としてしまうと、その定義はdiminished faculties(減退した能力)・・・つまりabilityに基づいたものになり、循環的定義になってしまう
- facultyは単に身体的な能力以外にprivilege的な社会的能力も指している(大学の先生のポジションを表すのももちろんね)
- →これが本全体での主体・客体の話と繋がってて、abilityって結局個人に帰属する能力の話になっちゃうけど、
- 根底の考え方として、impairmentは情報通信などでも使われる概念だが、そういった身体を機械として捉えるアナロジーがボツワナにはない
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時間経過を伴う病気と障害の違い
- 癌が肺に転移している(ステージ4)のためスターン自身も病気(chronic ill)の状態ではある1
- 障害者は病気だと思われたくなく、病気にかかったものは障害だと思われたくないという相互のスティグマがある
Iris Marion Youngのfeminist phenomenologyの”discontinuous unity”気になる
2章
- 携帯発声増幅器dork-o-phone(正式名称はSpokeman Personal Voice Amplifier)について
- 電子機器と補聴器や人工内耳、こういうボイスアンプのようなカテゴリの違い
- 障害を補助する器具のダサさ、需要が少ないことによる高額さとか
- そこらじゅうでスピーカーから声が発されている文化であるのに、普段の会話での喋りがスピーカーから発されることには違和感を覚えてしまう状況
- 「声」と「口」が暗黙的に同化していることへの批判
- 声は哲学の理論で重要な位置を占めている(オングとかデリダとか)
- このアンプを使うと、当然だが発音源が口とスピーカーの2箇所になる
- しかし、発音源を口に持ってけば当然ながら口が見えなくなる
- これが人に違和感をもたらす
- では体のどこにつけるか?
- ベルトとして腰につけると、座って授業をするときにできない
- 場合によっては口と目の向きを別々にできたりする
- 慣れると音源の位置は元の口の位置へと同化(assimilate)していく
- ミシェル・シオンが映像の中の音源位置について話していること
- ダサさ(not cool)の象徴:Dork
- 4章の耳栓でも似たようなダサさの話がある
- ただ声の大きさが変わったことが、例えば大学で授業をする際、日常で友人と会話をする際の社会的な扱いを変えてしまう
- スピーチアンプについて事前に説明するか、しないかによって反応が変わりうる
- これはマイノリティのPassing, Coming outの問題とも並列する
- 結局、声は主体に帰属するのではなく相手や道具との関係性の中で出来上がる Vocalities:どう訳すか・・・
3章
本の中で実施される「仮想的な展覧会」で声について話す・・・かなり不思議な章
4章
ろう及び難聴について。
Audile Scarification:Scarificationは傷をつけて体に模様を刻んだりするもの
騒音の耐えうる閾値:痛みを感じる音量の閾値
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1932年のベル研での調査
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1947 シルバーマンによる推測:130~144dBSPLとか
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1952年のUSネイビーの航空機の高速化にあたってより詳細に調べられた(BENOX report)
- 現在の音量閾値の基準のもとにいまだに引用
- ベル研やシルバーマンと違いラボではなく飛行機のコクピットで調査
- 「痛み」と「不快」「接触」を区別
- きちんと人体実験してるね・・・
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もうちょっと質的な意味での・・・音に関わる文化的、政治的な痛みとそれ以外の閾値について話したい
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normal impairment:規範による障害、って感じかな
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例えば騒音の場合、基本的に社会の中では体に悪い、有害なものとして扱われるけども、ある文化(軍隊とか)の中では騒音に耐えられることが礼賛されたりするマッチョなストイシズムがあったりとか
- 爆音のクラブに行ったりするのもまあそんなもんなんか
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Audile Scarification:the consensual transformation of the capacity to hear
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医学的には常にろうより難聴の方が、難聴よりも聞こえる方が良いという前提がなされるablismがある
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難聴は常に「予防可能な物である」と「不可避なものである」(加齢とか?)という矛盾した説明がなされる
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例えば音楽ライブに行ったりヘッドホンで大音量で聴きすぎることによる難聴は加齢による「ダメージ」とどう違うのか、、、みたいなことか
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Hearing LossではなくDeaf Gain
- ただ、音楽の聴きすぎで難聴になることは明らかにDeaf Gainではない
- そうですよね、ちょっと過激な議論になりそうでびっくりしてた
- Deaf GainはこれはこれでAblismの思想に乗っかるからこそ発生する概念
- ただ、音楽の聴きすぎで難聴になることは明らかにDeaf Gainではない
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Hearing Lossがアンブレラタームとしては雑魚すぎるので、そうでない概念としてのAudile Scarification
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身体改造とかの文脈
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文化的状況に合わせて耳の能力を改造していく営み
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リスカとかタトゥーと大音量を浴びることは明らかに違うものの、、、
- ここでも、外側からは見えない身体改造である、ということは一つ重要
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他者によるScarificationは監視や支配の象徴である:これも皮膚へのScarificationと音で共通して考えられる
- ただ、音による攻撃:音響兵器とかとの違いとして、通過儀礼的に大音量にさらされる場所に(同意:Consentの上で)日常的に踏み入れさせられるという方向
- 逃げられない同意:飛行機の機内がうるさいからと言って降りることはできん
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Audileは「聞こえくる過去」の「聴覚型の技法(Audile Technique) 」と同じ
- サウンドテレグラフとかの聴き方がテクノロジーによって形成されてきた考え
- Audible minus one
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公衆トイレはジェンダー・セクシュアリティの問題と同様にAudile Scarificationにとっても問題
- ハンドドライヤーの爆音を室内の構造がさらに増幅する
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DTSの”Better Button”の話
- ISO7029の平均的な老化にともなう聴力の低下の統計データをもとに、
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Loudnessと崇高(Sublime)
- カントの数量的崇高と、動的崇高
- David Novakのジャパノイズも引いてる
- Loudnessは非主体化に通ずる
- 話すことも聞くこともできず、音源に注意を払うこと以外できなくなる
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時に120dBSPLというのが実態を超えて意味を持つことがある
#120dB
というドイツのゼノフォビア女性がMeTooムーブメントに乗っかったハッシュタグデモ- 防犯ブザーを使ったやつだが、実際は120dBとか出るものはない
- 実際の音量以上に120dBという数字が社会的な意味を持っている
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Loudnessそのものが何か特定の意味を持つのではない
- Loudnessを経験する方法(media)とその経験(message)が不可分
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つまり、Impaired HearingはLoudnessの社会的な意味の経験/非経験によって分断されたりする
- 当たり前だけど飛行機内の爆音とノイズミュージックの爆音によるLoudnessはたとえSPLが同じだったとしても違う意味を生み出すよね
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耳栓についての話
- 耳を塞ぐことが社会から切り離されることと結びついてきたが、必ずしもそうじゃないんじゃないか
- ハイカルチャー(クラシック)よりもサブカル(ロック)の方が耳栓のキャンペーンがなされてる
- 車や銃におけるsafety(含む騒音からの)と、アメリカ的自由の結びつき
- 初めてのミュージシャン向け耳栓はEtymoticが作ったER-20
- 知らんかった
- HEAR(Hearing Education and Awareness for Rockers)
- ロックミュージシャンで初めて難聴を公にしたのがピート・タウンゼント
4章通してのちょっとした感想
- この本の中で唯一スターンが当事者でないトピックを扱っている
- なので、耳栓のメディア史とか、テクノロジーの掘り下げ方とかはこの章が一番これまでの著作のスタイルに近い
- 主に「聴者の聴力の低下」を扱っておりろう文化についてあまり触れられていないのが気になる
- ミュージシャン用耳栓などの販促で過度に難聴をスティグマタイズするのはよくない、それはわかる
- 老化でどうせ我々は難聴にやがてなるし、人間はそれぞれ生まれた時から聴力の特性が異なる
- しかしこの議論の仕方、(特に老化において)聴者センタードな世界で過ごしてきた人が後天的に聴力を失う(失っていく)場合と先天的なろう/難聴がスタートな人を同一視する方向にすっ飛ばんかねこれ
- 手話文化の文化言語モデルとかはあんま考慮されてなかったように感じた
- 老化で難聴になった人が生活しづらくなったことを本人のオーディズムとして責めるのは流石に過酷
- ろう者にとってインクルーシブな社会を作ることが結果的に老いてきた人にも優しい社会になりますよね、っていう方向では終われないんだろうか(スロープとかの話と同じで)
- 耳栓のメディア史は補聴器のメディア史とセットになってこそ効力があるのではないか
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あと、聴力低下防止以外での目的での耳栓の使われ方の文化史はまだ書き方がありそう
5章
ある種の障害としての「疲労(Fatigue)」について。
「この章を読むのは疲れると思うが、私も書いてて疲れたんで安心してほしい」とのこと
大学の教員は常に疲れてるので申請書はなるべく簡単に読めるようにしろ、というアドバイスのあれ(Diminished University Faculties)
疲れは何かの枯渇(depletion)的な感じで使われるけど、思ったより定義ははっきりしない
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「〇〇疲れ」という用法での意味の拡大
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例えば金属疲労(metal fatigue)のような人以外に対しても適用される言葉
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Chronic Fatigue Syndrome(CFS):慢性疲労症候群とかの慢性疾患(chronic illness)と障害の違いはなんだろうか?
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battle fatigue:PTSD
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- 1日に使えるエネルギー:スプーンの本数が決まっていて、家事など何かタスクをするたびに消費されていく
- フォークはその逆:1日あたりに耐えうるキャパが決まっていて、ネガティブな出来事:フォークが溜まっていく
Impairment Theory: A User’s Guide
締めがこれってのが面白いな
Footnotes
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ブログ記事曰く転移しているけどもそれでも悪化しているわけではないとのこと。 https://superbon.net/2023/06/05/4-june-2023-cancer-crawl/ ↩